世間体では、たくさんの決まりごとのようなものがあります。例えば「母親(主婦)・父親とはこうでなくてはいけない」「子供はしてはいけないが、大人はしてもいい」など、誰が決めたのか、果たしてそれは、常識なのか?解りにくいことが、たくさんあります。今回はその中でも、大人がよく口にする次の問題に注目しました。
 「良い学校」「良い就職先」とは、何の誰の基準だと思いますか?もちろんその人だけの基準ですが、悲しいことに一般的には、頭の良い偏差値の高い学校と、大企業が、その部類に入ります。
 昔から勉強を頑張り、偏差値の高い学校に入る。それはそれで、凄いことですし、素晴らしいことだと思います。ただ、幼いころからの場合は、大半が親からの強制ということに繋がります。具体的に何故に勉強しておくと、何がいいのかという教育ではなかったはずです。
 私は、昔は「学習障害児」という、学習が人よりも遅れていて、その学年の勉強では着いていけていなかったという、問題児だったようです。それも今となっては、本当に、誰の基準だったのだろうと疑問ですが、特殊学級での学習経験もあります。当時の私は、確かに少し変わっており、先生にとっては、厄介な生徒だったと思います。算数も「これは、なんでしなくてはいけないのか」と疑問から始まり、国語のテストでも、「本文中に作者の気持ちを表す部分があります。抜き出しなさい」という問題が一番嫌いで、「作者の気持ちは作者でないと解らない」と回答していました。
 そんな私ですが、転機が訪れました。体裁的では「悪い高校」といわれる、偏差値の低い人が集まる商業高校に進みました。自分の家が自営業ということもあり、商業に興味を持ち、勉強をしているつもりもなく、定期的の試験やテストでは、全校のトップという成績で過ごしました。学校公認で、アルバイトまでさせてもらっていました。そんな自由で、興味のあるものを伸ばしてくれる学校は、私にとって「とても良い学校」でした。私の出た高校は、偏差値が低いため、大企業などの就職は出来ませんでした。そのあとの、就職先は小さな個人の会社でしたがきっと新卒者では味わえない経験や、役職を与えてもらい、私にとって「とても良い就職先」でした。
 勉強の出来る人への、ひがみの様に聞こえますか?全くそうではなくて、その人それぞれに感じ方があり、それを押し付けるのはどうかと思うのです。
 アメリカの学校では、勉強が遅れて、留年する子が多いそうです。それは子と親が、進んで留年をお願いするからだそうです。納得が行くまで勉強をさせる教育方法です。日本の体裁は「留年」なんてものが人生に一つでも付いたなら「おちこぼれ」という、訳の解らないレッテルを貼られます。そして、親がそれを一番、嫌がるのです。
 体裁は、「周りの目」と近いものがあります。それが無いアメリカでは「ファッション雑誌」が少ないのも、自分を大切にしているからなのではないでしょうか。アメリカの考え方は自己中心的で嫌いな人も多いことでしょう。しかし、私はそのくらいでないと何も出来ないと思います。アメリカを薦めている訳ではなく、日本というものを狭く感じてしまうのです。皆さんはどういう日本人でありたいですか?

 


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