皆さんは「LD児」ってご存知ですか?
最近だからこそ、出てきた言葉だと思います。近年、福祉事業が盛んになり、知的障害や精神障害などの問題も、国全体で深く広く考えるようになったからでしょう。
私はそのLD児でした。いわゆる「学習障害児」と言われるものです。簡単に言うとクラスの皆に比べると「お勉強ができない」「変な行動をとる」などというもので、軽度の発達障害だと言われています。算数ができなかったり、国語ができなかったり、体育や音楽ができなかったりして、その代わりに、あることが抜群にすぐれている…といったものです。どれが劣っていて、どれが優れているのかは、その子それぞれで、どれ一つとして同じ症状の子はいないようです。
私の場合、算数と国語が劣っており、音楽と家庭科が優れていました。行動面は、机に10分間も座っていられないという落ち着きのない子供でした。
小学校の2年生又は3年生の時に、いつもとは違う特殊なテストがありました。そのテストをいつものように受けた数日後、私の母親が学校に呼び出されました。「特殊学級でお勉強させることにします。」母親は怒って帰ってきましたが、他の子の授業の邪魔になるような、落ち着きの態度を取るということで短期で体験入室することになりました。
今思うと、その時受けたテストは「IQ」を計るテストだったのだろうと思います。今の医学ではIQ・七十以下の場合、学習障害と言われているようですが、私は一体、IQ幾つだったのでしょうか。今も謎です。
私が優れていたのは、家庭科と音楽だけではありません。それは「興味があるもの」の記憶力と、豊か過ぎる発想力です。その、発想力から、勉強する意味を理解できず、自然と興味がなくなっていったのです。
三つの例を、書いていきたいと思います。
・ アナログ式の時計が読めない。
・ かけ算・わり算ができない。
・ 国語のテストの意味が理解できない。
などです。一つ一つ説明して行きます。
まず、「アナログ式の時計が読めない」ということ。学習障害独特の「数字・計算の視知覚・記憶の困難さ」からなるものがあります。例えば、長針と短針の読み方が解らないのです。「1」を「5分・5秒」、「10」を「50分・50秒」と違って読むこと。「2と3」との間にある短針を何故「2」としか読めないのか…。詳しくいうと、長針は1時間で1周、短針は12時間で1周、秒針は1分間に一周です。この三つの関連を理解することができない・覚えることができない…ということです。しかし、これだけではなく、私の場合は「デジタル式の時計があるのに、何故に必要なのか理解が出来ない」という、発想力が働いたことも原因になっていたようです。次に、「かけ算・わり算ができない」ということ。これも学習障害独特の「数字・計算の視知覚・記憶の困難さ」からなるものです。かけ算とわり算の、計算方法の違いが解らない、九九が覚えられない…などです。しかしこれも「今の時点で、使い道が解らないから」という発想から、覚えることが出来ませんでした。当時おやつを買うとき、せいぜい100円の買い物で、かけ算・わり算を使うことがなかったからです。もし、消費税が導入されていたら、かけ算を自然に覚えていたかもしれません。
最後に、「国語のテストの意味が理解できない」ということ。これも学習障害から「視知覚・文章理解の障害」というものがあります。例えば視知覚は「持」「特」などの形の似た文字の違いが解らず、文章理解は文章を読んでいても内容が把握出来ない…というものです。私の場合、それだけではなく、テストで「作者の気持ちを抜き出せ」などの問題を「作者の気持ちなどは、私には解らない」と変に深く考えてしまうからでした。
これらの出来事によって、当時の私は、とても悩み、頑張る努力はしました。しかし、一番苦労したのが、周りの先生方に理解をしてもらうことが出来ないということでした。私がよくしていた「先生、これは何故必要なんですか?何で覚えるんですか?」などの質問は、すべての先生は、「なんでもいいから覚えなさい。皆、やっているでしょう。」と私を怒っていました。
今になって、学習の大切さがわかります。勿論、計算力や文章力が優れているというのは、素晴らしいことです。しかし、中には、どれが将来素晴らしいことなのかを理解できない子供がたくさんいます。もし、子供からの質問で「何故?」という言葉があれば、面倒くさがらずに答えてあげてください。手を差し伸べてあげてください。
もしも当時、特殊学級の私が「将来、作家を目指す。」ということを知っていたのなら、国語の成績はトップだったことでしょう。何故なら、「興味があることの記憶力」は、誰よりも優れていたのですから…。