私の経験から、いじめ問題について書きたいと思います。いじめと一言でいっても、たくさんの種類があり、性別や年代によっても、違いがあると思われます。今回は、未成年の頃のいじめを考えてみたいと思います。
私は、物心つく頃から「いじめ」というものに悩んでいました。今思うと、それこそ、新聞沙汰になるような内容だったと思います。酷い暴行も受けました。男女からの集団無視。私物に傷を付けられたり、隠されたり…。それが、毎年のように続き、生きた心地がしないというのは、まさに当時でした。ですから、自殺したいという気持ちや、不登校。いじめられて、辛いと感じた事もすべて経験してきました。
一番、心に残っている出来事は「うちらのことを、呼び捨てにしているのが気に食わない」と、仲の良かった集団に仲間はずれにされ、暴行を受けたことです。体育館に呼び出され「ドッジボール大会」と称し、6対1で、私を的にボールを投げ付けて来るのです。目に付かないところで、呼び出しを受け、暴行されたこともありました。「うちらのことを[…さん付け]で呼びなよね。」 とセリフを吐きながら、何回も何回も蹴るのです…。
それらは私の場合、高校生のとき収まりましたが、やはり今になっても傷は残っています。自分でも解らないくらいに、フッとした時に思い出す、辛い思い出となっています。それをトラウマと言うのでしょうか?何をするにも、周りを窺ってしまうという、人生で一番必要の無い行動を、知らない内にしてしまう自分が居ます。いじめの一番厄介な所は「心に傷を負う」という事です。
しかし、未成年のいじめは、被害者の方にも原因があるように感じます。私がそうだっただけでしょうか。「相手に強く言えないから」と皆は、よく口にします。それもそうですが、相手に強く言い切らない人でも、人気者は居ます。やはり、被害者の考え方や性格に問題があると思います。
当時の私は、周りから注目されたい願望が強かった為か、目立つような行動をしており、目立つグループにいると強くなれた気がして心地が良かったのです。それが原因となっていたようです。しかし、一番の原因は、自分にも原因があったにも関わらず、被害者意識だけを持ち、卑怯者だったからでした。自殺願望も「自殺したら誰が苦しみ、悲しむのか」不登校していても「誰が心配するのか」という発想ばかりが浮かびました。考えてみれば、相手に要求することばかりです。私が、いじめにあっていた原因は、自分に振り向いて欲しいという相手に対する願望だけで、自分は何の努力もしていなかったからのようです。
大人になってからの私は、いじめというものがあったとしても、いじめと受け止めていません。それは、当時の私とは、まるで違い、今の自分が好きだからです。
しかし、一つだけ治らないことがあります。私の友達は気付いているのかもしれませんが、そのいじめを受けてから出会った友達は、すべてが「…ちゃん」「…さん」付けで呼んでいます。いくら年下の人に「呼び捨てで呼んでよ。」と言われても、無理なのです。それは一生、治らないのでしょうか…。